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ジミーと知り合ってもう20余年になる。
僕は彼をJimmyと呼び、彼は僕をNoriと呼ぶ。
ジミーの長男は僕と同世代だから年齢は親子の違い、それでも僕たちは仲のいい友人どうしで、よく議論、お互い学び合うことが多い。
ジミーは2007年12月に90歳になった。
ドライバーライセンスも返納し、最近ではあまり外出もしなくなってきたためもっぱら僕の方から彼の家に行くようにしている。
ジミーの家はカイルア・コナから30分ほど南下したキャプテンクックの町より少し手前にあり、奥さんのゼィニーと二人で慎ましく暮らしている。
長男は銀行の頭取で二男は大学教授と聞いている、そして娘は同じコナに住んでいてよく両親を訪ねている。
僕はたまに娘の庭でとれたマンゴーを頂くが、このマンゴーは中身まで赤く、そして大きく味は他のマンゴーとは比べ物にならないほど実に美味である。
ジミーは日系二世で広島出身の薬屋の息子としてホノルルで生まれ、子供のころは相当腕白だったらしい。
そのころの二世たちは、昼間は英語学校に行き、夜は日本語学校に通っていたためか日本語での会話にはあまり苦労しない。
ジミーは戦後、米軍関係の電気技術者として沖縄に来て、その後岡山に滞在していたという。
だから沖縄の言葉も少しでき、ときどき沖縄方言で喋りかけてくるが僕には意味がわからない。
ジミーは、75歳のころ突然日本の漁船を造ると言い出して、ガレージの床一面に構造合板を敷き詰め、設計図を描き制作に入った。
彼の家に行くたびにクジラのあばら骨みたいな骨組みができ、合板が貼られ、ポリエステル樹脂で防水が施されていく。
次に行ってみると驚いたことに完全な和船が出来上がっていた。
設計図はと聞くと、自分の頭を指差してここにあるという。
彼は40年も前に日本の船大工が造る和船の工程をしっかりと自分の頭の引き出しの中にしまっておいたのだ。
一年がかりで完成した船は全長25フィートぐらいで「OKAZUMARU」と命名された。
何でOKAZUMARUなのかと聞くと、待ってましたとばかりに「海におかずを捕りに行く日本の舟だから」といって得意顔で返事をした。
なるほどアメリカの舟は号だが日本は船名に丸がつく。
幾度かおかずを捕りに行こうと誘われたが一度もジミーの舟に乗ったことはない。
僕は一級船舶操縦士の免許も持っているし海は好きだが、次に誘われた時にと思いながらついに一度も彼と一緒に海に出ることはなかった。
ジミーは90歳、既に「OKAZUMARU」は彼の長男に譲られ、ジミーの舟倉にはない。
ジミーは物造りが好きで自分の細工小屋も持っていて、そこにはハワイコアの銘木材があったが全部僕がいただいて日本へ送った。
近頃彼は自分が大事にしているものを他人にやりだし、少し物忘れもしだしたがあと十年は友達でいてほしいと願っている。
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